⬆︎このつづき・・・
足を組み、焼売弁当ほおばりながら
まだ心のどこかでは「やっちまった」感は残る。
ほんっとあたしってやつは・・・
いくつになっても・・・
そんなことをちらほら思ってたら。
ヒュンと娘からのLINEが届いた。
見ると、内容はお味噌汁の具材を入れるタイミングについてだった。
それに答えつつ私はこう書いた。
「飛行機乗り遅れた!」と。
返ってきた返信に
「え。」
「wwwwwwwwwwww」←ウケてる様子
「おもろ」
そしてこうこう続けてきた。
「さすがママ。」
・・・さすがママ
・・・さすがママ
そっか、これも私っぽいんだ・・・
私はこの言葉でふっと心が軽くなって、どこかまだ責めてた気持ちがす〜〜っと綺麗に消えていくのがわかった。
だ、だ、だね、こういうことやらかしちゃうのも私だよね
うん、ありがとう、お陰で気が楽になった♡
でも・・・私たち親は子どもを愛していながらも
どこか理想の形にさせたがる。
そのままの子どもをまるっと受け入れてるようでも、いつどんな時も「それがなあただよね」と思えないことだって多い。
それなのに子どもというのは寛大で。
こんな大きなヘマをした私に向かって「さすがママ」と笑ってのける。
私はわが子がそのままの私をこうして受容してくれたから心がホッとして楽になれたのだ。
なんならちょっと褒められちゃった気分(笑)
大人たちならきっと
なにやってんの!もっと早くでればいいのに!何時に出たの?こんなミスして!ホント時間にルーズだよね!計画性ないよね!
などと責める思考が先にでて怒ることをやりがちだろう。
娘のこの言葉のおかげで残ってた自分責めの気持ちはスッと消え、関西へ気分良く向かいながら感じたことがある。
我が子よありがとう!あなたの方がよっぽど器がでかい。
学校へ行ってる時の子どもも
不登校になってる時の子どもも
行きたくても行けないと葛藤する時の子どもも
どんな時でもわが子はわが子であって
何の変わりもないんだ。
どの状態であっても、全てがその子なのだ。
それを、何か変に意味付けてみているのは親や大人たちなんだ。
だから受容しにくくなってしまうんだ。
と、また大切なことに気づけた。
不登校という出来事、行為だけに目を向けるのではなく
ただその子を、その子らしさを見ていればいい。
そしたら今回の私の気持ちのように、子どもの心は安心する。
わたしはわたしのままでいいんだ
僕は僕のままでいいんだ
自分らしさを認めてもらうだけで、子どもの心はホッと安心するだろう。
改めて。気づきをもたらせてくれる子どもという存在に感謝。
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