まだしていなかった私の自己紹介・・・は今後改めてしていくとして。
私が「不登校」のことを発信しはじめるようになって。
現在は不登校、わが子との関係に悩むママたちに向けたイベントや、
講座、オンラインサロンなどをやるようになった経緯を、赤裸々に書いてみようと思います。
子供が幼い頃は、とにかく子供が可愛くて幸せな毎日。
元々幼稚園教諭の経験もある私は、無邪気な子供と関わり、遊ぶことが大〜好きだった。
そんな私が、子育てにつまづき始める・・・
言うことを聞かない子供をコントロールし始め、他の子からはみ出るわが子を押さえつけ。
その度に『私がちゃんとしなきゃ!』が発動。
当時は全くそんな自分に気が付いていなかったけれど・・・
大好きな実家が事情により崩壊し、心の拠り所も失われていく。
夫とは、不仲で頼れずワンオペ状態。
そして、それに追い討ちをかけるように、
自身が乳がんであることが発覚し、
もう身も心もボロボロ。
楽しいことなんてどんどん無くなっていくと同時に、自分には甘えられる場所や人、
心休まる時間、満たされるものは何一つなくて。
むしろ、そんな自分や現状を、どこか自己否定をするようになっていった。
それは無自覚のままに・・・・・。
そんな私の心はどんどん空っぽになり、寂しさや虚しさが募っていくばかりだった。
でも気丈に振る舞わなければ!だってお母さんだから!
いつもそう奮い立たせていたから、本当は泣き虫で怒りん坊で笑い上戸な私だけど、
そんな豊かな感情をも封印していく。
だって、それらの感情を受け止めてもらえる場所、出せる場所を失っていたから・・・・・。
そんな私はどんどんと不感症になっていく。
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そして。
私の寂しさや満たされない気持ちから派生する「怒りの矛先」は、一体どこに向かうのか?
・・・わが子に向かった。
人というのは、自分よりも弱い方、弱い方へと向かう。
私もまんまとその流れに乗っていった。
子供を常に見張り、手出し口出し、異常な過保護に過干渉。
時には手が出ることもあった。
当時の子供から出る言葉は
「ママなんて大嫌い!!」
「どうせ私が悪いんでしょ!!」
「どうせママは話を聞いてくれない!!」
「どうせ味方になってくれない!」
それが当時の子どもの口癖になっていった。
そう言われると、自分が悪いくせに、言われて当然なことばかりしてるのに、
またカーッとなり、さらに怒り出すのだが・・・・・
実は私は、
私を・・・そう・・・
自分自身をどこかずっと責めていた。
それも当時は無意識でちっとも気づいてなんていなかった。
そして、子供が問題行動(と思えること)を起こすようになっていく。
学校からの連絡が増え始め、家の電話が鳴るたびにドキッとして。
「またうちの子何をやらかしたの?!」
「この子をもっと変えなければ!!」
「ちゃんといい子にさせなきゃ!」
そんな焦りや不安が先立ち。
子どもの話なんてたいして聞かず、先生や周りの言葉ばかりを信じ、わが子をまた叱り始める。
「どうせまたあなたが何かしたんじゃないの?」
すぐに浮かぶのはその思考。
どうせうちの子がわがままだから、どうせまた何かやったんだ、
どうせ私なんて、どうせ誰も分かってくれない、どうせ、どうせ、、、
そう。
子どもが私に向かって放つ言葉には、いつも「どうせ」がついていたんだけど、
この「どうせ」を常に持っていたのは
子どもではない、この私だったのだ。
次回につづく・・・
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