経緯1〜どうせママは味方になってくれない!〜

私のこと
201003292322000

まだしていなかった私の自己紹介・・・は今後改めてしていくとして。

私が「不登校」のことを発信しはじめるようになって。

現在は不登校、わが子との関係に悩むママたちに向けたイベントや、

講座、オンラインサロンなどをやるようになった経緯を、赤裸々に書いてみようと思います。

子供が幼い頃は、とにかく子供が可愛くて幸せな毎日。

元々幼稚園教諭の経験もある私は、無邪気な子供と関わり、遊ぶことが大〜好きだった。

そんな私が、子育てにつまづき始める・・・

言うことを聞かない子供をコントロールし始め、他の子からはみ出るわが子を押さえつけ。

その度に『私がちゃんとしなきゃ!』が発動。

当時は全くそんな自分に気が付いていなかったけれど・・・

大好きな実家が事情により崩壊し、心の拠り所も失われていく。

夫とは、不仲で頼れずワンオペ状態。

そして、それに追い討ちをかけるように、

自身が乳がんであることが発覚し、

もう身も心もボロボロ

楽しいことなんてどんどん無くなっていくと同時に、自分には甘えられる場所や人、

心休まる時間、満たされるものは何一つなくて。

むしろ、そんな自分や現状を、どこか自己否定をするようになっていった。

それは無自覚のままに・・・・・。

そんな私の心はどんどん空っぽになり、寂しさや虚しさが募っていくばかりだった。

でも気丈に振る舞わなければ!だってお母さんだから!

いつもそう奮い立たせていたから、本当は泣き虫で怒りん坊で笑い上戸な私だけど、

そんな豊かな感情をも封印していく。

だって、それらの感情を受け止めてもらえる場所、出せる場所を失っていたから・・・・・。

そんな私はどんどんと不感症になっていく。

そして。

私の寂しさや満たされない気持ちから派生する「怒りの矛先」は、一体どこに向かうのか?

・・・わが子に向かった。

人というのは、自分よりも弱い方、弱い方へと向かう。

私もまんまとその流れに乗っていった。

子供を常に見張り、手出し口出し、異常な過保護に過干渉。

時には手が出ることもあった。

当時の子供から出る言葉は

「ママなんて大嫌い!!」

「どうせ私が悪いんでしょ!!」

「どうせママは話を聞いてくれない!!」

「どうせ味方になってくれない!」

それが当時の子どもの口癖になっていった。

そう言われると、自分が悪いくせに、言われて当然なことばかりしてるのに、

またカーッとなり、さらに怒り出すのだが・・・・・

実は私は、

私を・・・そう・・・

自分自身をどこかずっと責めていた。

それも当時は無意識でちっとも気づいてなんていなかった。

そして、子供が問題行動(と思えること)を起こすようになっていく。

学校からの連絡が増え始め、家の電話が鳴るたびにドキッとして。

「またうちの子何をやらかしたの?!」

「この子をもっと変えなければ!!」

「ちゃんといい子にさせなきゃ!」

そんな焦りや不安が先立ち。

子どもの話なんてたいして聞かず、先生や周りの言葉ばかりを信じ、わが子をまた叱り始める。

どうせまたあなたが何かしたんじゃないの?」

すぐに浮かぶのはその思考。

どうせうちの子がわがままだから、どうせまた何かやったんだ、

どうせ私なんて、どうせ誰も分かってくれない、どうせ、どうせ、、、

そう。

子どもが私に向かって放つ言葉には、いつも「どうせ」がついていたんだけど、

この「どうせ」を常に持っていたのは

子どもではない、この私だったのだ。

次回につづく・・・

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