うちが不登校になってから、
親子関係が、というより、私が変わったこと、が本当に色々ある。
その中でもこれは明確に変わった!!っていう箇所があって、それによって私の心が抜群に楽になれたことがある。
それは・・・
「子どもとの違いを面白がる」
ということだった。
この「違い」っていうやつを、以前はちっとも理解できなくて認められなくて。
私はここまで自分の気持ちを押し通さない!
ここまでわがまま言わなかった!
不登校になんてならなかったし!
もっと沢山の友達と交わって楽しくできたし!
とか、そういうことをよく思っていた。
どうしてこの子はこんなことも出来ないんだろう?
もっと上手く、もっと器用に、なぜできない?!
そんなことまで思ってしまう時もあった。
酷いけどそれが事実。
でも、自分と向き合っていくとを幾度としていくと、
ある時ポロっとそれが外れた。
一瞬で全部外れたわけではなく、ポロっと外れる瞬間が何度も訪れて、それらが積み重なったことで、大きな枠がどかっと外れた、そんな感覚だった。
外れてけば外れるほど、私の勝手な思い込み、自分との比較は薄まり。
上記のような気持ちもどんどんと消えていった。
すると、「自分との比較」ではなく「自分との違い」に変わっていった。
私は○○だけど、子どもは○○というように。
私は目立ちたがり屋、子どもは目立つのが苦手
私は大勢が好き、子どもは少人数が好き
私は知らない人に平気で声をかける、子どもはそれを苦手とする
・・・というように、違いとして捉えられるようになっていった。
すると今度は・・・
私は細かい作業が苦手、子どもは得意
私は限界まで頑張れない、子どもは限界ギリギリまで頑張る
私は広く浅く、子どもは一点集中
ん?!あれ?!
前までは自分は出来てて子どもは出来ない設定で見てたくせに
逆視点になってきてるぞ?
私が苦手で、子どもが得意なところがこうして色々あるんじゃん!!
っていうのが見えてきた✨というわけ。
ここに気付くようになり、その視点を持つようになると、
随分自分を偉そうに高く見積もって、子どもを見下してたな〜と、今までの自分が恥ずかしくなった。
別に子どもに比べて、私は格段に優れてるわけでも勝ってるわけでも何でもないのに。
ただの「違い」ってだけだったのに。
だから、どっちが良い悪いでもなく、それぞれの違いがあるだけなんだ〜!!
ってことが腹から分かるようになった。
すると、子どもをどんどん理解できるようになって、そのうち子どもとの違いを面白がれるようになった。
そして、面白がれるようになると、そのままのわが子を愛しく感じたり、尊敬するようにまでなった。
この感覚を得たことは、母親という役割ももつ私にとっては、一生使える最高の宝物だと思っている。
そんな私になれるまでのこの過程は、ただボケ〜っとしてなれたわけではない。
何の行動も努力もせず、ここに到達できたわけじゃない。
自分と何度も何度も向き合い、対話をしてきた。
子どもを観察するのではなく、
自分を観察できる環境に飛び込んだり、自分と向き合うためのセッションや講座を受け、自分に時間とお金をかけてあげたからこそ、ここまで辿り着けたし、獲得できたこの感覚だと、今になって実感している。
これはひとりでは絶対に無理で、人やお金や時間に存分、頼ってきたから得られた感覚なのだ。
子どもは日々成長をする。
子どものことばかり見て、イライラして、不登校という出来事に悩んでばかりいたら、
気がつきゃ半年、一年が経ち、年齢を重ねてどんどん大きくなってしまう。
だから私は不登校が起きた時に、ここを徹底して取り組んでよかった!
と心から思っている。
子どもがもっと大きくなり、手に負えなくなる前に、真剣に向き合ってきて本当に良かったと。
あなたにも、こうして折角、不登校という出来事が起きたりして、人生立ち止まるタイミングがきたのだから、ただそこにいて同じことで悩み続けるのではなく、一歩でも二歩でも前に進むことをオススメします。
子どもがまだ子どものうちに。。。
自分との向き合い方、不登校への取り組み方がわからない方は、私が一緒に伴走します☺️
🐅川口東子メニュー(8月になったら募集)
・個別コーチングセッション、LINE相談など
コメント